ー野田レポー
(6月某日撮影)
話には聞いていましたが、こんなに早くに工事が進むなんて思ってもいませんでした。
そうです。「照日山」遺跡。野田町一丁目にあります。
岸と言われた当時の場所に楠木正成の家臣・和田高家によって城が築かれたことで、その名から「岸」の「和田」氏の治める町と呼ばれるようになった岸和田。その名の由来となった古城跡が、現在照日山と言われている場所である。上の写真では工事が始まっていて、もう石碑もなくなってしまっています。
よくテレビ番組で言われていることに、「日本人の自国の歴史認識の低さ」ということがありますが、まさにこんな小さなことが良い例ではないかと思います。
現在岸和田に住んでいてだんじり祭りの存在を知らない人はほとんどいないと思われますが、その祭りの起源にも関わる事柄に対して理解している方がいったい、いくらぐらいいるのかということです。
岸和田祭りは知っての通り、岡部長泰三代目岸和田城主の時代に京都の伏見稲荷大社を岸和田城三の丸に勧請したことから端を発すると言われており、この照日山に古城が無ければと考えると、現在の岸和田祭にも影響を与えるほどのことであったことがわかります。
そうとなれば、だんじり好きとして放ってはおけない場所なんですね。
これからどのようにこの土地は変身するのでしょうか。
※今回の記事の狙いとして、野田町の変わりゆく姿を取材することでより多くの人に興味を持っていただこうと思ったということであり、この場所の関係各位様がご迷惑であるならば申し訳ございませんがご連絡ください。
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